Archive for the ‘ 映画 ’ Category

インディペンデンス・デイの壮大な皮肉

今横のテレビで「インディペンデンス・デイ」がかかっている。最近エイリアン・パニック映画ってぱったりなくなってしまったせいか、なんだかノスタルジックな気持ちで見ている。私は主人公の科学者役を演じているジェフ・ゴールドブラムの容姿がかなり好みである。スタイルが抜群によろしい。「ジュラシック・パーク」でもカオス理論の研究者役で、軽快(あるいは軽薄)なフットワークのかっこええ役をやっていた。彼が「ザ・フライ」の主人公の科学者だったことは最近まで気付きませんでした。なんでまたそういう「変人科学者」役ばっかりやっているのか謎だ。 「ザ・フライ」は私の名作映画リストの中のひとつである。突拍子もない話だし、映像もかなりディスガスティングだけれど、強烈に印象に残る。以前にこの「ザ・フライ」の元になった白黒映画、「蠅男の恐怖」を見たことがあるけれど、こっちはもっと突拍子もない話で、空間移動装置の中に蠅と人間が入って融合した結果、「蠅人間」だけでなくて「人間蠅」も同時にできてしまう。蠅人間は首から上が蠅の人間。一方で、人間蠅はぶんぶん飛んでいるちいさい蠅で、よく見ると首から上だけが人間なのだ。「助けてー助けてー」と小さい声で叫ぶのだが、ぶちっと人につぶされて終わりである。ちなみに蠅人間になっちゃった博士は金属プレッサーに蠅の頭を挟んでつぶして自殺してしまう。 「インディペンデンス・デイ」を観たのは1996年で、私は高校1年生であった。あの映画で一番印象に残っているシーンはやはり、ビル・プルマン演じるアメリカ大統領がぶつ地球人類独立宣言である。タコ型宇宙人に占領されかかっている地球。エイリアン艦隊に向かっていくアメリカ軍航空兵たちを前に、奇しくも7月4日の突撃の朝にビル・プルマンが壇上に立ち、「今日はアメリカだけではない、人類にとっての独立記念日になるのだっ」と叫び、「おー!」と怒号があがる一番見せ場のシーンである。 あの頃はまだ9.11もアフガニスタン紛争もまだ起こっていなかったけれど、アメリカがまだ元気いっぱい世界の代表国になるべく邁進していて、すでに利権のためによその国の政治に干渉しては批判を受け始めていた時代だったと記憶している。そんな時に、アメリカの独立記念日を勝手に世界の独立記念日にしちゃったり、アメリカ軍が犠牲になって宇宙人から世界を守っちゃう映画なんか作っているのだ。これが政治的プロパガンダとして作られたんなら時代が10年は遅すぎるし、単にアメリカ人観客が「ワオ、アメリカサイコー」と感じたいために作ったんだとしたら頭が悪すぎるし、どっちにしろ信じられないなあ、とアメリカへの不信感がいっぱいになった16歳の夏であった。結局、あの時代に日本では当然共有されていた雰囲気も、アメリカ人としてアメリカに住んでいる人たちには伝わっていなかったということなのかもしれない。 しかし、いま改めて「インディペンデンス・デイ」を観ていると、別の感慨が起こってくる。ひっかかるのは、彼らが戦っている得体の知れない宇宙人たちの存在である。正体のわからない、言葉や理屈の通じない、だからどう戦っていいのかわからない謎の知的生命体。人類や地球を壊滅する恐怖の象徴。それが体長3メートルほどの、頭が膨れ上がったタコちゃん星人なのだ。正義のためにとはいえ、そんなぶにぶにのタコと真剣に戦ってどうするのだ。そんな映画をつくってみんなで見て喜んでどうするのだ。それが何億も資金をかけて作った、その先の10年を予期してぶった壮大な皮肉だったのだとしたら、なかなか悪くない映画なのかもしれない。[ READ MORE ]

SRKとボリウッド・エンターテインメント

ディワリといえばSRKである。ムンバイにしばらく住んでいる人には説明の必要はあるまい。SRK=Shah Rukh Khan、ボリウッドスターのシャールク・カーンである。インド人は、何でもかんでも言葉を省略するのが大好きだ。新聞を見ると、地名や政党名、法律や条約の名前なんかはたいていイニシャルトークなので、なにがなんだかさっぱりわからなくて実に困る。私にわかるのは、SRKとCST(Chatrapathi Sivaji Terminus)ぐらいのものである。ディワリの晴れ晴れした雰囲気の中にいると、幸せなSRKの映画がじっくり見たくなる。 前にも書いたが、私はシャールク・カーンがかなり好きだ。ほかにも若くてかっこいい俳優や渋い俳優はいっぱいいる。不思議なことに、ハンサムな俳優、セクシー俳優、渋い俳優、ダンスの上手い俳優、など分野別にランキングした場合、シャールク・カーンはどの分野でも一位ではない(皆さんがそんな私的ランキングに興味があるかどうかはわかりませんが)。彼にはそういう部分的なインパクトがない。しかし圧倒的な存在感とオーラがある。 テレビや雑誌にシャールクが出てくると、なんだか幸せな気持ちになってしまう。わくわくする気持ちと、ほっとする気持ちが同時に沸き起こる。これって劇場に座って楽しい正月映画を見る前の気持ちにそっくりである。つまりは、シャールク・カーンそのものがインドのエンターテインメントを体現しているからではないかと私は思う。その信頼感が、他の俳優と一線を隔すところである。 若い人気俳優たちと比較すると、コミカルだけれど下品になりえないところがアクシェ・クマールと違う。セクシー役を演じても引きがなく、観客を恥ずかしくさせないところがシャヒド・カプールと違う。クールな演技をしてもすかした感じに見えないところがハルティク・ローシャンと異なる。そして、愛嬌の点で圧倒的にアミール・カーンに勝っている。そんなふうに、どう考えてもシャールク・カーンのラブリーさには比類がない。(アビシェイク・バッチャンは言うに及ばずです。)わたしとたまこの一時的な結論としては、今のところシャールクに続く大型俳優はボリウッドの若い世代に育っていない。 正月といえばエンターテインメント映画である。残念ながら今年のディワリにはシャールク・カーンの大型映画はやってこなかった。若い俳優のすかしたクラブダンスを見る暇があったら、古いDVDを買ってシャールク・カーンの華々しいボリウッドダンスを見ていたい。やはりここは「NPO法人ボリウッドのエンタメ映画を守る会」を立ち上げたほうがいいかもしれない。SRKにはぜひ顧問を務めていただきましょう。私はムンバイ支部長を担当しますので、たまこは東京支部をおねがいします。[ READ MORE ]

ムンバイ、マイ・スイートハート ―映画、Mumbai Meri Jaan-

映画、Mumbai Meri Jaan (ムンバイ・メリ・ジャーン)を観た。去年の8月か9月ごろに公開して、辛口TimeOutが4つ星をつけていた作品だ。よさそうなヒンディ語映画のストーリーを字幕なしで理解するのはかなり困難なので、DVDが出るまで待っていたのである。素晴らしい映画であった。 2006年にムンバイで発生したローカル線の爆破テロにまつわる話だ。電車に乗っていて生き残った人、愛する人に死なれた人、事件のレポートをする記者、事件後に見回りに借り出される警察官たち、ムスリムとヒンドゥ、金のある者と貧困な者。事件後のムンバイ市民の人生をありとあらゆる角度からとらえてまとめ上げている。悲惨なのに、ラストはひたすらやさしい。 インドにいると、人間をステレオタイプで見る傾向が強くなると思う。少なくとも私はこの映画を観て、自分がずいぶん人を分類して見るのに慣れきってしまっていると感じた。金持ち、中流、貧乏。インド人、西洋人、東洋人。ムスリム、ヒンドゥ、クリスチャン。リキシャの運転手と客。警察と市民。テレビの中の人と、外の人。だって外見の違いがとにかくはっきりしているからだ。 もちろん、人を知ってしまえばそういう表面的な違いは瑣末なことに過ぎない。付き合っていれば、個人の人格的な差は文化的な背景の違いとは比べ物にならないほど大きい。友達や同僚の社会的バックグラウンドなんてほとんど知らない。しかしよく知らない、普段あまりかかわりがない人にたいしては、見かけでどういう人間かを判断し、決めている。ベージュの制服を着てひげを生やした警察官に自分と同じような複雑な思いがあるなんていちいち考えたりしない。 それが映画自体のテーマでもある。主人公たちは事件を通じてそれぞれが、それまでの自分とは違った人間の立場に身を置くことになる。被害者だと思っていた人間が人を傷つけるものの立場を経験する。部外者だったものが関係者になる。 この映画のもう一つの魅力は、Vashiに住んでいる人/住んでいた人だけにしかわからないが、われらがCentre One(センターワン)が映画にたくさん登場することである。センターワンとは私の家から歩いて5分のところにある小さなショッピングモールです。周囲にたくさんおしゃれなモールができてしまって倒産の危機に瀕している様子だが、映画にも出たぐらいだしがんばってほしい。どんなにかっこいいブランド・モールができたとしても、センターワンはマイ・スイートハートだ。 だからVashi在住の日本人の皆さんは、サブウェイ・サンドイッチを買うときには必ずInorbitではなくセンターワンを利用していただけるよう、ご協力お願いいたします。[ READ MORE ]

言葉に詰まるとき

Jaya Bachchanは大スターAmitabh Bachchanの妻であり、女優である。インドの芸能雑誌「People」の10月号に彼女のロングインタビューが載っていた。ひとことで言って、「怖いおばさん」という感じの迫力のある女性である。ちなみに、彼女の息子は若手人気俳優、Abhishek Bachchan。その妻もインド一の美人女優Aishwarya Rai。ものすごいスターファミリーのいわば中心を生きている人である。 インタビューの大半は彼女と夫との関係について質問され、インタビュアーを笑い飛ばしたりにらみつけたりしながらばしばしと答えを返す。しかし、半ばで他の女性との関係がたびたび噂される夫Amitabhについて、「ああいう噂は気になるでしょう?」と聞かれると急に寡黙になり、抽象的な表現になる。 「(沈黙)・・・。人間だから、反応はします。暗く反応することもあれば、明るく反応することもある。ふるまいや、様子や、出来事によって毎秒ごとに安心させられて、それでなんとか前に進んでいく。(沈黙)・・・。傷つきやすい年齢や時期にある人はいずれにしたって自分を見失うものです。そして、悲しければ悲しいし、幸せならば幸せなのです。」 かなり正直に答えている印象である。これまで何度、マスコミから同じような質問をされたのだろう。しかし、何十年と繰り返されている質問だとしても、まだ冗談では返せないことが人にはあるのだなあと思った。嫉妬や憎しみをかみしめながら家族の中に留まり続けているからか、Jaya Bachchanの口元は普通の人よりずっときつく締まっているように見える。そういう生き方を「執着」と呼んで嫌う人もいるかもしれないが、私はそういうさわやかでない部分を持っている人に惹かれてしまう。 自分が60代になったとき、彼女のような眼光鋭いこわもておばさんになっていたいとはあんまり思わない。できれば余計な苦労をせずに暮らして、どこまでも力の抜けたおばさんがいい。でもまあ、きっとそうもいかないのだろう。 何に耐えて、何に耐えないのか。 長く暮らせば暮らすほど人に語るエピソードは増えていくが、それと同じだけ語ることのできない話も増していく。そして、語られない話が積もれば、それがふいに言葉を詰まらせる引っかかりになっていくのだろう。自分があの年になったとき、いったい何に言葉を詰まらせているのか、何を越えられずに暮らしているのか、まったく想像がつかない。[ READ MORE ]

死ぬ前に一度は観るべき映画(らしい)「LAGAAN」

映画、「LAGAAN -Once upon a time in India」をとうとう観た。Aamir Khan(アミール・カーン)主演・プロデュースのインド映画である。2002年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされた作品なので、ひょっとして日本で観た方もいらっしゃるのではないかと思う。素晴らしい映画でした。 イギリス統治下のインドの内陸部の小さな農村。日照りのせいで穀物がとれず、厳しいLagaan(年貢)が納められないと訴える農民たちに、イギリス人指揮官は意外なゲームを仕掛ける。「もしクリケットでイギリス人チームを打ち負かすことができたら、3年間Lagaanを免除してやろう。」農民たちは果たしてその挑戦を受けるのか?クリケットのルールも知らない農民たちが、イギリスチームを相手に勝利を望めるのか?・・・そんなストーリーの人間・歴史・スポーツドラマである。 主役は若き農民Bhuvanを演じるアミール・カーン。心優しく、真実と正義を追い求める、決して恐れない青年。Bhuvanの情熱と真実に心を打たれて、農民の心がひとつにまとまっていく様子が感動的で、キー場面に当たるたびに、「バ、バワン!」と鑑賞中に叫んだ私。どういうわけか、農民たちの群像は、黒澤明の「七人の侍」に出てくる日本の農民にそっくり。意外なロマンスも絡まってなかなかはらはらどきどきの4時間(長い)であった。 歌とダンスの中で特によかったのは、Bhuvanに恋するヒロインが、2人の関係をヒンドゥ教の神様で女たらしのクリシュナとやきもちやきのラーダに例えた歌。「なんでやきもちなぞやく、ラーダ」、「やかずにおらりょうか、クリシュナ」という2人のダンスが歌舞伎みたいでかっこよかった。 細かい場面についていろいろ書きたいけれど、「死ぬ前に一度は見るべき世界の映画トップ30」にリストアップされている映画なので、これから観る人のためにやめておきます。ちなみに、クリケットのルールがさっぱりわからない、という人は観る前にちょっとだけ調べておくことをおすすめします。[ READ MORE ]

すべてはゴルマールになる

先週の日曜日、以前によく通っていた近所の小劇場に映画を観にいった。このごろ家の近くの新しいシネコンにばかり行くようになってしまったことにちょっと心が痛んでいたので、久しぶりに地元の商店街の売り上げに貢献しようと思ったのだ。 この劇場の問題点は、チケット売り場が決まった時間しか空いていないことである。チケット売り場の横のタバコ屋のお兄さんいわく、大体午前10時ごろと午後2時ごろに売り場が開くが、それ以外は閉まっているらしい。だから、通りかかったついでにチケットを買って置こうと思ってもできない。久しぶりに行ったのでその事をすっかり忘れていて、仕方なくチケット売り場の横のチャイ屋で1時間ほど本を読んで待った。 ムンバイの映画館では上映前に必ずインド国歌が流れて、観客はみんな起立してスクリーンの国旗に掲揚しなければならない。このルールは2003年に始まった比較的新しいものだという。ムンバイのタウン誌Time Outの「ムンバイから無くしたい100のことリスト」という特集の中では、「あれ、うざいからもうやめて欲しいよね」と批判的に取り上げていたけれど、そうはいっても曲が流れればちゃんとみんな起立する。 この日は、国歌の最後に2人ぐらいの観客がスクリーンに向かって「バラー、マッタッキ!」とヒンディ語で叫んだ。その発言をメモしておいて後日知人に確認してみたところ、正確には、 Bharat Mata Ki Jai (バラート・マッタ・キ・ジャイ) ( Bharat = India / Mata = mother / Ki = that / Jai = win ) だそうである。日本語にするなら、「母なるインドに栄光あれ」といったところだろうか。久しぶりにローカル劇場に入るとこういうことがある。ファンシーなシネコンの中で、人はあまり叫んだりしない。途中で画面がパタッと暗転してしばらく会話だけが続くというハプニングが起こって観客が一斉に「見えない!見えない!」と叫ぶという一幕もあり、なかなか面白かった。 最新のシネマコンプレックスのチケット代はRs. 150からRs.200前後であるのに対し、ローカル劇場ではRs.50からRs.100と安い。この値段の違いが客層の違いなのだ。しかし、映画への反応はどこに行っても同じみたいだ。 ちなみにこの日の映画は「Gormal returns(ゴルマール・リターンズ)」という、まじめな画面が1分もないばか映画であった。ゴルマールは主人公の名前なのだが、主題歌からして「Gormal, Gormal, everything is gonna be Gormal….」というまったく意味のない歌詞である。そうか、すべてはゴルマールになるのか・・・、とまったく訳がわからないまま劇場を出たが、気分は爽快であった。[ READ MORE ]

アビシェイク・バッチャンはちょっと

今週末に行った映画は「DRONA」。アビシェイク・バッチャン主演のファンタジー映画である。これが結構ひどかった。映画館を出たときどっと疲れていた。 ヒンディ語がわからないのにいいとかひどいとか判断できるのか、と聞かれたら、「ある程度はできる」とはっきり言える。せりふがわからないので効果を頼りにストーリーを追っていると、音楽、カメラの動き、シーンの切り替わり方なんかが下手なのがものすごく気になるのである。不自然な効果を延々3時間も観ていると完全にへとへとになってしまう。 簡単に映画のストーリーを説明すると、青年アビシェイクは実は不思議な力を持った伝説の勇者Dronaで、伝説上因縁のある悪の組織が彼の力を使ってなにか悪いことをたくらんでいるのを阻止してやっつける、というかなりどうでもいい内容である。 アビシェイクは寡黙な青年の役で、クールなつもりなのかまともなせりふがほとんど無い。突っ立って憎しみのこもったような目で虚空を睨んでいるかショッカーみたいな敵をやっつけているかどっちかで、きっと喋らせたらろくでもないから彼にはせりふをつけなかったんだろう、と思わせるほど演技が下手である。父親のアミタブ・バッチャンは顔がもうちょっと精密なので黙っていると寡黙に見えるけれども、息子の方は野生的な外見のせいか、見ているとだんだん「あれ、彼はひょっとして人間の言葉がわからないのかな?」という気持ちになってくる。 映画全体も意味ありげにしようとしてか、ほとんど3分に1回はスローモーションがかかる。スロモがかかってないときにもカメラが役者の下から上になめるようにゆー…っくりと動くせいで、全篇スローで観ているのと変わらない。結論としては、アビシェイク・バッチャンはちょっと、もういい。ひょっとしてファンの人がいたらあれだけれど、私は父アミタブ・バッチャンとアビシェイクの妻アイシュワイヤ・ライは大好きなので、それで勘弁してほしい。[ READ MORE ]

KIDNAPの無意味なセクシーシーン

イムラン・カーンとサンジェイ・ダッドが主演のサスペンス映画、KIDNAPを観に行った。イムラン・カーンは最近登場した若手で、人気俳優アミール・カーンの甥ということで注目を集めている、小柄で線の細い俳優である。サンジェイ・ダッドは中年のマフィア風悪顔俳優。 少年刑務所上がりのイムランが大企業の社長であるサンジェイ・ダットの娘を誘拐し、娘の命と引き換えにゲームを要求する、というストーリー。ある成金からお金を盗ませたり、昔の友人を刑務所から脱獄させたり、さまざまな要求をサンジェイ・ダットが娘を助けるために次々とこなしていく。ゲームをクリアするごとに謎のメッセージが犯人から届く。実は二人の間には因縁の過去があったことが次第に明らかになるのである。 逃亡するイムランを追いかけてサンジェイ・ダッドが工事中のビルの中を駆け回る長いシーンはスピーディーで迫力。お腹が出て、肝臓を完全にやられているらしい全身真っ赤の中年男がここまで跳べるものか、と真剣にはらはらどきどきして観ていた。 ひとつ問題なのは、誘拐された娘役の女優のセクシーダンスシーンがあまりにも唐突に始まることである。かなりシリアスなストーリーなのにもかかわらず、彼女の登場シーンでは、虜になっているという設定はお構いなしに、海や滝で水びたしになりながら踊ったり歌ったりする。どういうわけか着ている服も毎日変わり、ドレスだったりマイクロミニだったりやたらセクシーできれいな服を着ているので、いちいち「あれ?」と考えこんでしまって、話に入り込めない。インドでは映画に「入り込んで」観ている人はほとんどいないから、入り込もうと努力している私が悪いといえば悪いのだが。 細かい矛盾をいちいち突っ込んでいるようではまだインド的映画視聴法をマスターしているとはいえないなあと思いつつ、やっぱり突っ込まざるを得ない。しかし全体的に言えば、なかなか凝ったいい映画であった。[ READ MORE ]

カーマ・スートラ 愛の物語

「Whatever happens, life can never be wrong」 というのは、最近見たインド映画、「Kama Sutra, The story of love」 の最後のせりふである。なかなか素敵な言葉で感心したので、よい格言リストの一番に加えました。そうかー、Life can never be wrongかぁ、そうだ、その通り、と酒の席のおじさんのようにひざを叩きたい。主人公がかなり不幸な身の上の女の子だっただけあって、なかなか説得力がある。 主人公のマヤは召使の身分に生まれて、親友が王様の后になる結婚式の晩に、身分を妬んでいた親友への嫌がらせに王様と一夜を共にする。親友が嫁に行く日に、「あなたは私にいつも古い服をくれたけれど、これからはあなたが一生私のお古を着るのね」というせりふを吐いて、親友を泣かせます。いうなあ。 王様との関係が両親に知れて、マヤは家を追い出されて放浪の身となり、カジュラホでカーマ・スートラを嫁入り前の女の子たちに指導する美人の先生に出会い、恋人もできる。ところがマヤにぞっこんの王様がとうとう彼女の居場所を付きとめ、側室に迎えます。この映画にはすごい処刑シーンが登場して、なんと石の上に乗せた罪人を象に踏み潰させるのです。すごく痛そう。そんなふうに死にたくない。 このマヤ役の女の人はいわゆる美人というのではなく、ちょっとやつれた感じだけれど雰囲気のあるタイプの女優で、ジュリエット・ビノシュをインド人にしたような人。ああ、美人というのと色っぽいというのはちがうんだなー、と思わせる感じの人です。 カーマ・スートラといえばインドの愛の奥義書とかいうので有名なものですが、映画は古いインドを舞台にしたラブストーリーです。インド映画にしてはときどき色っぽいシーンが結構あるけれど、その程度です。問題は、映画を最後まで見ても、カーマスートラっていったい何なのか結局よくわからないということかな。いったい、なんなんだろう?[ READ MORE ]

泣け、シャー・ルク・カーンとともに

シャー・ルク・カーン(Shah Lukh Khan)がわりと好きである。シャー・ルクといわれてもわからない人に説明すると、彼はインドで超有名なボリウッド俳優です。 顔は香港俳優ジャッキー・チェンにやや似ていて、てかてかむきむきボディ、織田裕二を舞台俳優にしたような演技が彼の特長である。貧乏だけど心根が優しくピュア、家族や恋人の危機にはぶるぶる震えながら涙し、それとはいたって無関係に半裸セクシーシーンを繰り広げる、というのが私が見たいくつかの映画において大体共通する彼の役どころであった。実際、シャー・ルクは他の俳優に比べてさほどハンサムではない。しかし、いってみればチャーミングで、見ているとだんだんその愛嬌が心に染み入ってきて、「ああ、シャー・ルク・カーン、結構かわいいかもな」という感じになってくる。 最近見たシャー・ルクのよかった映画は「Devdas」という悲恋物語で、私はボリウッド映画で初めて泣いてしまった。やや、くやしいような、そんな気分。どんな映画でもよく泣くほうだけれど、ボリウッド映画はダンスシーン満載のせいか、あるいはあまりにもコンテクストと無関係なシーンに気を取られるためか、あんまり情緒的になる瞬間がない。でもこれはよかったです。ストーリーも音楽も美術もよくて、懐古的な気分になる映画でした。 ヒロインはこれもまたボリウッド一の(?)人気美人女優、アイシュワイヤ・ライ。初恋の女性パロとの恋に破れたデヴ(シャー・ルク)が、酒で身を持ち崩し、死にかけていく様は見るに耐えないほどかわいそう。シャー・ルクに片思いし、必死に救おうとするが、愛情を拒み続けられる踊り子のチャンドラムキもすごくかわいそう。よよよよよよ。ラストシーンははらはらどきどき、かつ、「そこで終わりますか!」と叫びたくなる素晴らしいラストショット。ちなみに、このチャンドラムキ役の女優は妖艶だけどピュアというかんじの演技がうまくて、この人もまたすごくよかったです。 いつもはシャー・ルクが泣くと、「あ、また泣いちゃったよこの人」という感じで、横目で眺めていたけれど、この映画に関しては、「わかったよ、シャー・ルク。今回は私も泣くわ」とパソコン画面につぶやきながら観た私。最初は異文化的に面白がっていたボリウッド映画が、だんだん自分のスタンダードになっていく。いいんだか、わるいんだか、しらないけど。[ READ MORE ]

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